淳和天皇関連エントリー

[趣味雑談]淳和天皇崩御

■ 続日本後紀 巻第九製作中 淳和 天皇 は、 和風 諡號を持つ最後の 天皇 となった。 辛巳 ,後 太上天皇 顧命 皇太子 曰:「予素不尚華餝,況擾耗人物乎。歛葬之具,一切從薄。朝例凶具,固辭奉還。葬畢釋,莫煩國人。葬者藏也,欲人不觀。 ...

[趣味雑談]淳和天皇崩御

第53代淳和天皇大原野西嶺陵

第53代淳和天皇大原野西嶺陵 第53代淳和天皇陵は小塩山の山頂にあります。 (京都・洛西に位置する大原野を眼下にそびえる標高642mの山) 淳和天皇陵はこの山頂にしばしばこ訪れ狩りを楽しんだといわれています。 小塩山の麓には花の寺といわ ...

第53代淳和天皇大原野西嶺陵

西院(賽)の河原跡・淳和天皇離宮跡(高山寺)

... 平安時代の淳和天皇(786~840)の退位後の離宮・淳和院に由来し、御所の西の離宮ということから「西院」と呼ばれるようになったようです。 淳和院は元々南池院と呼ばれ、淳和天皇の即位前からの御所でしたが、天長十年(833)の譲位後に淳和院と ...

西院(賽)の河原跡・淳和天皇離宮跡(高山寺)

淳和天皇の離宮跡(雲林院=大徳寺境外塔頭)

... 淳和天皇(在位823~833)は、この地(現在の大徳寺の辺り)に広大な離宮「紫野院」を造り度々行幸したと言うことです。また桜や紅葉の名所として知られ、文人を交えての歌舞の宴も行われていました。 ...

淳和天皇の離宮跡(雲林院=大徳寺境外塔頭)

お館様 上洛日記(其ノ三) 泉湧寺編

... 第110代・後光明天皇 第111代・後西天皇 淳和天皇の別称「西院帝」にちなみ「後西院」と追号され、大正14年(1925年)に歴代天皇の院号が廃された時に“院”を取って「後西天皇」とされた(本来“西院”でひとつの言葉であり ...

お館様 上洛日記(其ノ三) 泉湧寺編

淳和天皇とは?

淳和天皇(じゅんなてんのう。延暦5年(786年) - 承和7年(840年)5月8日 (旧暦) 5月8日、在位:弘仁14年(823年)4月16日 (旧暦) 4月16日 - 承和7年(833年)2月28日 (旧暦) 2月28日)は、平安時代初期の第53代天皇。名は大伴(おおとも)。
桓武天皇の第七皇子。 母は、藤原百川の娘・藤原旅子 旅子。
皇后正子内親王との間に恒貞親王 恒貞(つねさだ)親王を儲けた。
他に贈皇后 高志内親王などの后がおり、子も多数いた。
平城天皇、嵯峨天皇は異母兄。
810年9月13日 (旧暦) 9月13日、薬子の変後に廃太子された高岳親王(平城天皇の子)に代わって立太子した。
823年4月16日 (旧暦) 4月16日、即位。これに伴い、大伴氏が伴氏と改姓している。天皇の御名と同じ姓では畏れ多いからというのが理由といわれる。

淳和天皇の詳細

淳和天皇に関するニュース


読売新聞

<京の私的案内>嵐電「車折神社駅」…郷土史研究家 山谷和弥さん
読売新聞
平安初期に淳和天皇が建て、通称・ 西院 ( さいいん ) と呼ばれていた離宮があった場所で、現在の佐井通にあたる「 佐比 ( さいの ) 大路」から、「さい」と呼ぶようになったことを知った。 後輩の車掌らにも沿線の歴史を伝えたいと、研究成果を冊子にまとめた。 ...