淀殿関連エントリー

淀殿の日記:第6回

戦国20年12月22日 大坂城で働く女中たちや、わらわ以外の太閤殿下の側室どもは、石田三成にキャーキャー言っているが、わかってないね。男を。 大坂城イチいい男は大野治長(はるなが)に昔から決まってんだよコノヤロウ! 影の薄い男、じゃなかった ...

淀殿の日記:第6回

歴史の解釈って面白い(淀殿って性悪女?)

... 大阪夏の陣で自害したとされる淀殿(お茶々の方)について 徳川と争えば豊臣を滅ぼす事になると、戦を回避しようと努力していた片桐且元や織田有楽斎を追放した上、さらに徳川方が提示した和睦案を蹴ったのも、従来は淀殿の気位の高さと強情によるものと ...

歴史の解釈って面白い(淀殿って性悪女?)

淀君と淀殿

先月の「 文學界 」で、「春琴抄」の春琴は淀殿をモデルにし、佐助は 石田三成 ではないかと書いておいた。最初は「淀殿」と書いていたが、谷崎先生が「淀君」と書いているので、後半は「淀君」になっている。これに対して、淀君は間違いで ...

淀君と淀殿

淀殿

... 淀殿の本名は、浅井茶々(ちゃちゃ)。 殿と様には違いがある。「殿」付けで呼ばれるより、「様」付けで呼ばれる人物の方が格上であった。淀殿というのは江戸時代になってからの呼称。その生存中には、「様」付けで呼ばれていた。 ...

淀殿

淀殿の日記:第5回

戦国20年11月12日 今日は太閤殿下の正室、北政所(きたのまんどころ)に呼び出され、彼女の部屋に言った。 「おぬしは、サル(秀吉)の側室である。しかし、サルを一身に愛すわけでもなく、大野治長(はるなが)にうつつをぬかしていると聞く。 ...

淀殿の日記:第5回

淀殿とは?

淀殿(よどどの、永禄12年〔1569年〕?-慶長20年5月8日 (旧暦) 5月8日〔1615年6月4日〕)は、戦国時代 (日本) 戦国時代から江戸時代初頭にかけて生きた女性で、豊臣秀吉の側室。幼名は茶々(ちゃちゃ)。名字は浅井、浅井氏の本姓は藤原。諱は菊子。
近江の大名浅井長政の娘。母は織田信秀の娘のお市の方 お市で、織田信長の姪に当たる。同母妹に初(常高院、京極高次夫人)と崇源院 督/小督/江(後に於江与、崇源院、徳川秀忠夫人)がいる。異母姉妹に京極竜子 京極龍子の侍女(姥)となった寶光院(放光院)くすがいる。
子に棄(豊臣鶴松 鶴松、夭折)、拾(豊臣秀頼)。猶子に姪(末妹崇源院 督と豊臣秀勝の娘)の豊臣完子 完子がいる。

淀殿の詳細

淀殿に関する質問

淀殿 浅井三姉妹の長女で秀吉の側室となった「淀殿」の、 ..

浅井三姉妹の長女で秀吉の側室となった「淀殿」の、 どんな内容でも良いんですが、一般的に教科書や歴史雑学レベル、 またはウィキペディアなどで知られている内容以外の内容を知りたいのですが。 マニアックであればあるほど嬉しいです。 そんなページがあれば教えてください。

趣味・スポーツ 芸術・文化・歴史  浅井三姉妹の長女で秀吉の側室となった「淀殿」の、 ..の詳細